2014年12月21日
2014年12月20日
もりやま琵琶湖の「しぶき氷」
12/18木夕方撮影
(京都新聞HPより)
極寒、琵琶湖の波しぶき凍る沿岸で「しぶき氷」観測
↓

しぶき氷は、冷え込みと強い季節風が重なる時期に発生する着氷現象
琵琶湖岸では、年に数回発生することがあるという
夕方だったので 氷がバラバラ(><)
↓

タキシッス!
(京都新聞HPより)
極寒、琵琶湖の波しぶき凍る沿岸で「しぶき氷」観測
↓

しぶき氷は、冷え込みと強い季節風が重なる時期に発生する着氷現象
琵琶湖岸では、年に数回発生することがあるという
夕方だったので 氷がバラバラ(><)
↓

タキシッス!
2014年12月12日
もりやま巨大イルミネーション中洲ふれあいの灯2014@守山市
(今回も守山市HPから) (守山の輝き絆”中洲ふれあいの灯”)
守山市で見られる巨大イルミネーション 「中洲ふれあいの灯」
(今年で25周年)
中洲小学校の校庭にある 巨木「メタセコイア」(高さだいたい30mぐらいかな)
中洲学区に住む方の世帯数の電球で飾られたメタセコイアは
遠くから見ても 「あ!あそこやな~」って分かるぐらい デッカい
都会で見られる最新式ではないですが やさしい光が周囲をキラキラ照らしています
あ!今年からLEDにするみたいなので 見え方が変わるかもしれませんね~
毎年12月中旬~1月 (今年は12/14~1/31) に点灯されています
↓


比較的見物客も少ないので ゆっくり光を堪能できるのも魅力の一つ ・・・だと思います
タキシッス!
守山市で見られる巨大イルミネーション 「中洲ふれあいの灯」

中洲小学校の校庭にある 巨木「メタセコイア」(高さだいたい30mぐらいかな)
中洲学区に住む方の世帯数の電球で飾られたメタセコイアは

遠くから見ても 「あ!あそこやな~」って分かるぐらい デッカい
都会で見られる最新式ではないですが やさしい光が周囲をキラキラ照らしています

あ!今年からLEDにするみたいなので 見え方が変わるかもしれませんね~
毎年12月中旬~1月 (今年は12/14~1/31) に点灯されています
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比較的見物客も少ないので ゆっくり光を堪能できるのも魅力の一つ ・・・だと思います
タキシッス!
2014年12月10日
2014年11月09日
東門院の大提灯
ほろよいで 撮影
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(比叡山東門院守山寺HPより)
↓
当山は、比叡山東門院守山寺と称して、天台宗に属する寺院です。
延暦7年(788年)に伝教大師最澄が、比叡山寺(後の延暦寺)を建立した時、
四境にそれぞれ門を構えることにしましたが、その一つとして比叡山の東門として設けられたのが始まりです。
その後延暦13年9月3日に、比叡山の根本中堂開闢(かいびゃく)供養が行われ、
湖上に舟橋を渡し、東門まで「善の綱(白布の綱)」を引渡して桓武天皇が、湖上をお渡りになってこられたのです。
このとき、桓武天皇により比叡山東門院守山寺(比叡山を守る寺)と名号され、地名も守山と賜ったと伝えられています。
本堂には、弘仁元年(810年)3月、湖水上に毎夜一条の光明があり、
湖岸の人々も不思議に思い、光りが放っているところに網を投げて、
その網の中に入ってきた霊像十一面観世音菩薩が安置されております。この十一面観世音菩薩は、
嵯峨天皇の勅定により、当院に安置されたといわれています。
また、護摩堂(不動堂)には興教大師が自ら刻まれた、
近江では最大で全国でも十体の中に入るといわれる不動明王坐像(国指定重要文化財)が安置されています。
その他に境内には、鎌倉時代の造立と考えられる石造五重塔(国指定重要文化財)、
並びに重要美術品に指定されている石造宝篋印塔、
石造宝塔があり1200有余年の歴史と文化を今も伝える古刹となっております。
一方当院は、琵琶湖を一周する近江西国三十三ヶ所観音巡りの
第二番札所・湖国十一面観音霊場第五番札所・近江湖南二十七名刹霊場第二十三番札所としても指定され、
多くの熱心な信者の方々のお祈りの場ともなっております。
江戸時代には、当院が朝鮮通信使特使の宿にもなり、
その当時に掲げられていた中山道守山宿奉行高札場の高札も残されており、
全国でも数少ない珍しい当時の実物に出会うことが出来ます。
タキシッス!
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(比叡山東門院守山寺HPより)
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当山は、比叡山東門院守山寺と称して、天台宗に属する寺院です。
延暦7年(788年)に伝教大師最澄が、比叡山寺(後の延暦寺)を建立した時、
四境にそれぞれ門を構えることにしましたが、その一つとして比叡山の東門として設けられたのが始まりです。
その後延暦13年9月3日に、比叡山の根本中堂開闢(かいびゃく)供養が行われ、
湖上に舟橋を渡し、東門まで「善の綱(白布の綱)」を引渡して桓武天皇が、湖上をお渡りになってこられたのです。
このとき、桓武天皇により比叡山東門院守山寺(比叡山を守る寺)と名号され、地名も守山と賜ったと伝えられています。
本堂には、弘仁元年(810年)3月、湖水上に毎夜一条の光明があり、
湖岸の人々も不思議に思い、光りが放っているところに網を投げて、
その網の中に入ってきた霊像十一面観世音菩薩が安置されております。この十一面観世音菩薩は、
嵯峨天皇の勅定により、当院に安置されたといわれています。
また、護摩堂(不動堂)には興教大師が自ら刻まれた、
近江では最大で全国でも十体の中に入るといわれる不動明王坐像(国指定重要文化財)が安置されています。
その他に境内には、鎌倉時代の造立と考えられる石造五重塔(国指定重要文化財)、
並びに重要美術品に指定されている石造宝篋印塔、
石造宝塔があり1200有余年の歴史と文化を今も伝える古刹となっております。
一方当院は、琵琶湖を一周する近江西国三十三ヶ所観音巡りの
第二番札所・湖国十一面観音霊場第五番札所・近江湖南二十七名刹霊場第二十三番札所としても指定され、
多くの熱心な信者の方々のお祈りの場ともなっております。
江戸時代には、当院が朝鮮通信使特使の宿にもなり、
その当時に掲げられていた中山道守山宿奉行高札場の高札も残されており、
全国でも数少ない珍しい当時の実物に出会うことが出来ます。
タキシッス!