もりやまクイズ 010

タキシス

2014年03月29日 05:55

なんちゃって守山検定!10回目

不定期ですが 守山について 少しでも興味を持ってもらえたら幸いです (あくまで、なんちゃって・・・ですが)

(← 過去問は 左側カテゴリを参照)



勝部(かつべ)という名称は 古い歴史を有する 勝部神社に関係すると考えられます

そこで問い


Q 010 もともと勝部の区域にあったところで 明治45年に守山駅が開設されてから

駅前を中心として だんだん発展してきた町は 次のどこか?


A 梅田

B 吉身

C 本町

D 泉町


答え
 ↓

守山市PRキャラクター もーりー (ほたるの妖精)


正解は

A 梅田



(以下、守山市の広報もりやまから引用)


神社の文書によると 大化五年八月(約1360年前)

物部宿弥広国(ものべのすくねひろくに)が この地を領して その祖神をまつり

物部郷総社(ものべごうのそうじゃ)として 物部神社と名付けたとあります

また 六国史(りっこくし)の一つである「文徳天皇実録(ぶんとくてんのうじつろく)」には

仁寿(にんじゅ)元年(851)に 近江国物部布津神従六位上(おうみのくにものべふつのかみじゅろくいじょう)を

さらに 「三代実録(さんだいじつろく)」では

元慶(げんぎょう)六年(882)に 物部布津神従五位下(じゅごいげ)と

二度にわたる神階を受けたころは 物部神社と呼ばれたようです

ところが 建久(けんきゅう)三年(約813年前)に

神社に寄進された燈籠(とうろう)には 勝部大明神(かつべだいみょうじん)とあるほか

元亀(げんき)年間(約433年前)に 織田信長が納めた 起請文(きしょうぶん)によると

勝部村勝部大明神という名がでており

既にそのころには 勝部の名称が使われていたことが分わかります

ただ 勝部という名の起こりは

物部守屋(ものべのもりや)の 「部」と

中臣勝海(なかとみのかつうみ)の 「勝」をとって名付けたという説と

神社の祭神 物部布津神が 武神(ぶしん)であるので

「武」と 「勝」という 縁起のよい言葉を使って 勝部となったという

二つの説が考えられます


梅田町は もともと勝部の区域にあったところで 明治45年に守山駅が開設されてから

駅前を中心として だんだん発展してきた町です

勝部本郷とは 距離的に離れているので 便宜的な呼び名を考えたあげく

大阪駅のある場所が梅田であり

守山駅付近も 将来の発展を願って 梅田町と呼ぶようになりました

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