東門院の大提灯

タキシス

2014年11月09日 05:55

ほろよいで 撮影
 ↓


比叡山東門院守山寺HPより)
 ↓
当山は、比叡山東門院守山寺と称して、天台宗に属する寺院です。
延暦7年(788年)に伝教大師最澄が、比叡山寺(後の延暦寺)を建立した時、
四境にそれぞれ門を構えることにしましたが、その一つとして比叡山の東門として設けられたのが始まりです。

その後延暦13年9月3日に、比叡山の根本中堂開闢(かいびゃく)供養が行われ、
湖上に舟橋を渡し、東門まで「善の綱(白布の綱)」を引渡して桓武天皇が、湖上をお渡りになってこられたのです。
このとき、桓武天皇により比叡山東門院守山寺(比叡山を守る寺)と名号され、地名も守山と賜ったと伝えられています。

本堂には、弘仁元年(810年)3月、湖水上に毎夜一条の光明があり、
湖岸の人々も不思議に思い、光りが放っているところに網を投げて、
その網の中に入ってきた霊像十一面観世音菩薩が安置されております。この十一面観世音菩薩は、
嵯峨天皇の勅定により、当院に安置されたといわれています。

また、護摩堂(不動堂)には興教大師が自ら刻まれた、
近江では最大で全国でも十体の中に入るといわれる不動明王坐像(国指定重要文化財)が安置されています。
その他に境内には、鎌倉時代の造立と考えられる石造五重塔(国指定重要文化財)、
並びに重要美術品に指定されている石造宝篋印塔、
石造宝塔があり1200有余年の歴史と文化を今も伝える古刹となっております。

一方当院は、琵琶湖を一周する近江西国三十三ヶ所観音巡りの
第二番札所・湖国十一面観音霊場第五番札所・近江湖南二十七名刹霊場第二十三番札所としても指定され、
多くの熱心な信者の方々のお祈りの場ともなっております。

江戸時代には、当院が朝鮮通信使特使の宿にもなり、
その当時に掲げられていた中山道守山宿奉行高札場の高札も残されており、
全国でも数少ない珍しい当時の実物に出会うことが出来ます。


タキシッス!


関連記事